「バルカ共和国」つづき
(VIVANT考察)
やはり気になる、バルカ共和国の名前の由来。
中央アジアと地中海沿岸に位置する北アフリカのチュニジアでは、地理的に離れすぎている。
接点がなさすぎるか。。。
ハンニバルやその父ハミルカルが活躍した時代は、古代ローマの時代。
で、そのころのユーラシア大陸の中央辺りはどうだったかというと、
たしか、セレウコス朝シリアが繫栄していたんじゃなかったっけ?
追手から逃れるも、黒海沿岸の小国で捕えられ、自決。
ちょっと、近づいてきたかな?
ここから妄想。
実は、ハンニバル・バルカは死んではおらず、
遊牧民に助けられ、コーカサス山脈を越え、カスピ海を渡り、中央アジアの辺りまで逃げ延びた。
バルカ家の血を継ぐ者がバルカ王国を建国。その後、バルカ共和国へと発展。
いじょ、カルタゴの英雄、ハンニバル・バルカとバルカ共和国のつながり、勝手に考察。
ツッコミどころ満載の妄想ですが、楽しい~
ネムカドネザールのねごと、お見逃しください。